◆ 安芸乃島 1
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安芸乃島引退 藤島襲名披露
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1月31日、両国国技館で元関脇安芸乃島の断髪、藤島襲名披露大相撲が行われました。
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安芸乃島 勝巳(二子山部屋)・本名 山中勝巳 1967年3月16日 広島県豊田郡安芸津町生まれ |
82年春初土俵・87年名古屋新十両・88年春新入幕・2003夏引退・身長175センチ
体重158キロ
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・金星16個・三賞19回(殊勲賞7回、敢闘賞8回技能賞4回)は共に歴代1位
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・1283回幕内出場、幕内在位
91場所は歴代3位、通算勝星822が歴代6位など。
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パンフレットより |
前略 〜広島県豊田郡安芸津町。安芸乃島が山中勝巳として生まれ育った町である。 |
漁師だった父は世間が想像する漁師のイメージ以上に厳しい男であった。問題を起こせば |
殴るのは当たり前。漁の手伝いをする為に港へ向ったものの、約束の時間をわずかに過ぎてしまい |
海にそのまま放り込まれることもあった。「来る日も来る日も殴られて育った。 |
どこの家もそういうものだと子供の頃は思っていた」と安芸乃島は述懐する。 |
そんな父親に勧められ叔父の元で柔道を始めたのは小学校3年生の時。父同様に厳しく接した叔父の |
指導のおかげで、勝巳は広島県下で無敵となっていた。中学生にもかかわらず、 |
すでに国体成人男子にも勝つ強さを身に付けていたという。当然の事ながら、柔道関係者の間では |
有名な存在となった。しかし勝巳はある出会いをきっかけに柔道の道を捨てる事となった。
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広島巡業に訪れた力士の中に大関貴ノ花(現二子山親方)がいた。もともとファンであった勝巳は |
親方に「身体が大きいな。相撲をやらないか?」と声を掛けられ「はい」と即答した。 |
柔道を続けると思っていた母は泣いた。父は「死んで来い」と言った。勝巳は「死んできます」と答えた。 |
相撲の稽古は厳しいと耳にしていたが、父や叔父の指導に耐えられたのだから乗り越えられる自信があった |
そして14歳にして入門。待っていたのは、毎日100番以上、多い時は200番近くにも及んだ猛稽古。 |
角界一とまで言われた厳しさは「本当に死ぬ かもしれない」と勝巳を追い込んだ。 |
入門時128キロあった体重は2ヶ月で約30キロ落ちた。 |
山中として初土俵を踏んだのは15歳であった。以降、番付を上げ、20歳の時に十両で優勝。 |
幕内に上がることが決まり、親方と共に郷里の広島へ向った。 |
迎えた父は親方の前で息子を殴りつけ「もっと鍛えてやって下さい」と頭を下げた。 |
父親としてできる唯一の歓迎であった。 |
「親方と両親には本当に感謝している。もし相撲をしてなかったら、自分は今頃生きていたか分らない」と |
安芸乃島は語る。そして「相撲は人生そのものであり、自分の命である」と言葉を続けた。 |
最後まで自分に負ける事を許さなかった男は今、新しい道を歩み始めている。 |
相撲道、此処に有り。 |
平成16年1月31日 於 両国国技館 開場11:00 開始11:20 打ち出16:00
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開場の準備に大忙しの世話人
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サインに気軽に応じる藤島親方
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一門の行司さんがスーツ姿で受け付けのお手伝い
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木村隆男(鳴戸)
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